絶対的な存在になる、ということ
パソコン教室のエフセブンとして開業する前は、本社が山口県にあるパソコン教室のフランチャイズ店のひとつでした。
研修は山口県内でも行われたし、鳥取県内の他のチェーン店の開業を目指す方と一緒に、鳥取市内での研修も受けました。
ぼく自身はすでに情報処理技術者試験(当時は通産省)のうち、初級システムアドミニストレータの資格を持っていてC言語によるプログラミングのほか、基礎知識はあったので、オリエンテーションを受けるくらいの軽い気持ちで研修を受けたのですが、もちろん、そんな甘いものではありませんでした。
2000年当時、コンピューターとして触れていたのはMS-DOS、Mac(PowerBook)、UNIXワークステーション(Sony NEWS)だったので、ウィンドウズパソコン(Windows95/98/Me/2000)の使いにくさに閉口しました。
それと、同じ時期に研修を受けた方が皆さん20代30代の若い方で、どの方もとても優秀だったので、ずっと置いてきぼりを食っていたような感じでした。ちなみにぼくは40歳になったばかりでした。
当時は、こうしたがんばって起業をめざす人の厳しい研修風景をドキュメンタリータッチで描くテレビ番組が流行っていた関係で、ぼく自身もそうした番組を見て、気持ちを奮い立たせていたような気がします。
起業してからの日々
起業当初から「出張ができる」ということを打ち出していたので、自宅兼教室でのレッスンのほか、出張サポート、各地で開催されているパソコン講習会の講師、インターネットプロバイダや家電ショップから依頼を受けて行うサポートなど、業務内容は多彩でした。
鳥取県のパソコン講師も受けていて、もうこれ以上手が回らないという状況の中で、開業前から趣味でやっていたオカリナ演奏の依頼がぽつりぽつり来るようになりました。
2003年にNHK文化センター鳥取支社のオカリーナ教室の講師を受けてからというもの、音楽レッスンの依頼が急速に増えました。
かなりはしょって、今、パソコンの方はレッスンより、トラブルサポートがメインとなっています。
絶対的な存在になる
何かあるたびに強く意識したのは、「絶対的な存在になる」ということでした。
「絶対的な存在」の反対は「あいまいな存在」です。
来てもらっても、良かったかどうかはっきりしないのでは、意味がないということです。
そのための努力は惜しまなかったし、その結果が今に生きているのは間違いのないことです。
ただそのために、自分を削ってきたということも、事実でした。
自分自身の時間であり、思考であり、精神をも削りました。
それは、もういいんじゃないかな、と思っています。
寄り添う存在になる
これからは、ぼく自身はそのままで、寄り添える存在になりたいと思っています。
今ぼくが身につけているのは、頑張ってきた結果ではなくて、もともと持っていたぼく自身の性質にあったものが残っているに過ぎません。
ぼくが身につけているものが100人中、一人しか伝わらないかも知れない。
残り99人にも絶対的な存在になりたいと思っても、それはもともと無理な話です。
ぼく自身はいつも、そのままでいたい。